◆私が人吉市長をめざす理由

 令和2年7月4日の熊本豪雨から2年と半年が過ぎました。人吉市内の被災世帯は、実に3分の1に上りました。被災者の皆様方は、この間、迷いや悩みを抱えながらも復旧に努めてこられました。しかし、いまだ中心市街地には空き地が広がり、復興の槌音が聞こえてきません。
 それには理由があります。人吉市が中心市街地の再開発事業を熊本県に丸投げしてしまったからです。そこで、熊本県は道路拡幅や避難路新設を名目に、市街地に2年間の建築制限をかけ、鉄骨、鉄筋コンクリートの構造物を建設することを禁止しました。道路拡幅や避難路の建設と熊本県は言いますが、避難路が狭くて逃げ遅れた人はいません。避難指示が遅れたために亡くなられた方はおられます。道路ありきで、道路をつくるために商店街を壊すことは、本末転倒で、町づくりではありません。また、人吉の歴史ある城下町の町割りを壊すべきでもありません。
 ここから、市街地の住民の悩みや迷いが始まりました。2年間も生業の再建ができなかったわけです。被災された中心市街地の皆さんのために、仮設商店街が3か所できましたが、あくまでも仮設であり、従来の売り上げには程遠いものです。
 また、中心市街地の紺屋町新温泉界隈の1,2hの再開発に、熊本県と人吉市は、令和4年12月現在、あと7年かかると発表しました。水害からなんと9年と半年もの時間を要することになります。これでは、商売人は、どうしたらよいのでしょうか。あと7年も待たなければ、商売をもとの地で再開することができないのです。いや、そこから建物の建設ですから、10年以上はかかるということになります。
 商売をしてきた人々は、あと8年もの間どのように食べていけばよいのでしょうか。生活そのものが成り立ちません。新温泉界隈をはじめ再開発地域から移転せよ、商いを止めろと言わんばかりの再開発事業です。
 そこでスピード感をもって、一日も早く商店街を立て直さなければなりません。そのためには、市が、市長が主導権を握らなければなりません。負債総額242億円もの巨額の借金がある中でも、不退転の決意で、ふるさと人吉のために最後のご奉公として、不肖田中信孝は立ち上がりました。

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